◎ポーランド、ワルシャワ
ショパンの心臓が眠る聖十字架教会

1849年10月17日、フレデリック・ショパン、パリにて死去。
遺体はパリ20区のペール・ラシェーズ墓地に埋葬されたが、その心臓は祖国ポーランド、ワルシャワの聖十字架教会に眠っている。生前、ショパンはポーランドの土に還ることを強く望んでいた。とりわけ、ワルシャワのポヴォンスコフスキ墓地に葬られることを願っていたが、当時の社会情勢を考慮すればそれは実現不可能に近かった。そのため彼は、「せめて心臓だけでもワルシャワへ」と遺言を残したのである。
姉ルドヴィカはその遺志を胸に、弟の看病のためワルシャワからパリへ赴き、ショパンの最期の三カ月を献身的に支えた。葬儀を終え、遺品の整理を済ませた彼女は、1850年1月、アルコール漬けにされた心臓をスカートの中に隠し、密かに祖国へと持ち帰った。
こうしてショパンの「心臓(ポーランド語でセルツェ。これは“心”という意味も併せ持つ)」は、現在、聖十字架教会の左側の支柱の内部に安置されている。亡命の身でありながらも、彼の魂は祖国への深い愛によって、静かにワルシャワへ帰ったのである。

その後、第二次世界大戦の戦火はこの教会にも及んだが、ショパンの心臓は事前に安全な場所へと移され、被害を免れることとなった。終戦後の1945年、ショパンの命日にあたる10月17日、心臓は元の柱へと戻され、再びこの地に静かに安置された。
この教会は、ショパンが故郷ポーランドに寄せた深い愛情、そして亡命先で抱き続けた望郷の念を象徴する存在である。彼の精神を今に伝える場所として、ショパンの音楽を愛する多くの音楽愛好家や旅人にとって、極めて重要な巡礼地の一つとなっている。

ショパンの遺言には、「心臓を祖国ポーランドに返還すること」のほか、「未発表作品の破棄(ただし、この願いは実行されなかった)」、「葬儀の際にはモーツァルトの《レクイエム》を演奏してほしい」といった内容が記されていた。
5年に1度、彼の命日にあわせて開催される「ショパン国際ピアノ・コンクール」では、10月17日の命日を競演のオフ日と定めている。この日、ワルシャワの聖十字架教会では、ショパンを偲ぶ特別な演奏会が開かれ、彼の遺志を尊重するかたちでモーツァルトの《レクイエム》が演奏される。